恵那山−ウエストンの足跡を訪ねて
日本アルプスの名付け親であるウエストンは、明治ニ六年五月に友人二人と木曽谷沿いに旅行し、中津川から残雪の恵那山に登っている。彼が登った登山道は久しく廃道となっていたが、平成十三年、地元山岳会により復活され、登山口の川上(カオレ)にはウエストンの銅像が建立されている。この道をたどってみようと、十月ニ六日早朝、会社の人と新大阪を立ち、名古屋を経て中津川へ向かう。快晴の天気で町の背後には、どっしりした山が見える。タクシ−に乗り、「ウエストン公園まで」と言っても通じない。「川上まで」でようやく行先を理解してもらえる。九時過ぎに恵那神社の先でタクシーを降りる。
ウエストン像(加藤隆一氏撮影)
正ヶ根谷に沿って暫らく歩き、登山口の標識から大きな沢を仮設の橋で対岸に渡る。しばらくスギ林の中を歩き、小沢に出る。ここで明日までの三リットル近い水をザックに詰め、植林の中の急な登りにかかる。やがて、尾根の上に出る。左手には、大きく山崩れした白く斜面が見える。背の高い笹原の登りとなり、白骨のようになった「大檜」に出る。根っこからモミジが生え、赤い葉を見せている。やがて、空は曇ってくる。昔の小屋跡を過ぎ、岩が露出した「物見の松」に出る。目の前には、山腹に立ち枯れた木が縞の様に広がる頂上尾根が見える。さらに、急な登りの後、神坂峠からの道と合流する。ここからは、平坦な尾根を進み、四時前に煙突から暖かそうな煙が出ている頂上避難小屋に着いた。厚い木の扉を開けると、大勢の人が泊まっている。とりあえず、荷物を置いて、頂上へ出かける。展望の利かない林に囲まれた空き地に頂上の標識があった。すぐに、小屋へ引き返す。ストーブの横に陣取り、コンロで湯を沸かし、焼酎を飲む。薪が勢いよく燃え、顔が火照ってくる。隣に九州の山に行った人がいて、一緒に九重の「坊ヶツル賛歌」を合唱する。
翌朝夜明け前に、外に出ると、空は真っ青に晴れて非常に寒い。小屋の裏山にご来迎を見に出かける。羽毛服を着たまま、小屋に泊まった人たちとじっと待っていると、次第に東の空が赤く染まり、伊那谷を隔てた南アルプス仙丈岳の黒い山の背後から赤い朝日が顔を出す。反対側に移動すると、木曽御岳、乗鞍岳、中央アルプスの山々が遠くに青く霞んで見える。ウエストンもこの景色を眺めたのことであろう。
その山々はどれもまだどっしりした肩に処女雪の白い衣をつけている。すべてのうちで恐らく一番目立つ山の姿は、真東にそびえる赤石山の優美な姿である。その南の肩から類ない富士の円錐形の山頂が雪を頂き、くっきりと外郭を示して澄みわたった空にそびえている。 ・・ウォルター・ウェストン「日本アルプス登山と探検」より
早朝の中央アルプスを見る(加藤隆一氏撮影)
大勢の人達は、先に出発してしまい、小屋の中はガランとなった。今日は山を降りるだけなので、ストーブの横で熱い紅茶を飲みながらくつろぐ。八時半過ぎ、去り難い快適なこの山小屋を後にする。風もない静かな針葉樹の森の道を下り始める。下ってくると、昨日とうって変わって少し暑い陽気になり、大汗をかいて登山口へ戻る。さらに中津川に沿って広い道路を一時間半近く歩いて、二時半頃、路線バスの停留所に着いた。
快晴の朝の頂上小屋(加藤隆一氏撮影)