夏の終わりに針ノ木岳と蓮華岳へ
台風も去り、不順な天気も落着いてきた八月十二日夜、会社の人と二人、八王子から夜行列車で信州に向かう。夏休み期間限定の「青春18切符」を買う。JRで一日どこまで行っても二千三百円は今時安い。早朝、目が覚めると、列車は緑の水田が美しいあづみ野を走っている。背後には青黒い後立山連峰の山々がシルエットになって見える。天気は快晴で、空には一点の雲も無い。信濃大町で列車を降りて、夜明けの町に出る。山国の空気は、ひんやりと冷たく、もう、秋の気配が漂っている。バスの乗り込み、扇沢へ向かう。うとうとと居眠りをしているうちにバスの終点に着いた。朝日がまぶしく輝き、目の前にのびやかな爺ヶ岳の緑の斜面が広がっている。
七時前、混雑したバスターミナルの横から針ノ木岳へ向かう。しばらく、谷を右に大きく迂回して、ブナ林の中の山道を歩く。大きな涸沢を幾つか横切ると、大沢小屋に出る。ここには、昭和初期の開拓者である百瀬慎太郎のレリーフが岩にはめ込まれている。
山想えば、人恋し
人想えば、山恋し
は、けだし、名言である。
しばらく林の中を進み、冷たい雪解け水が流れ、気持ちの良い草が生えた台地で、本谷に入る。ザックを下ろして、休憩する。目の前に、針ノ木大雪渓が見える。雪がズタズタに裂けており、雪渓の上は登れないようだ。涼しい登山を期待してきたのに至極残念。
本谷に入ると、大小の岩が積み重なり、雪渓の下から勢いよく水が流れている。踏み跡は、谷右側の岩混じりの草付きに続いている。後を振り返ると、双耳峰の鹿島槍ヶ岳が美しい姿を見せている。巻き道を登り終え、雪渓の上に出る。ここから、谷の左に沿って稜線を目指して登る。蓮華沢を横切る所で、4リットルの水を水筒に詰めて行く。道は次第に赤土の急斜面を登るようになり、やがて、十一時前、針ノ木峠に出る。雲一つ無く晴れ渡った青空の下、反対側の黒部川から、冷たい風が吹き抜ける。峠の針ノ木小屋には、「エビスビール有ります。」の旗がたなびいている。相棒と顔を見合わせて、小屋で生ビールを注文する。木のベンチに腰を下ろし、槍ヶ岳から三俣蓮華岳、薬師岳と続く、雄大な北アルプスの山並みが見渡す。しばらく休んで、槍ヶ岳が良く見える台地にテントを張る。
落ち着いた所で、ポーチにミカンの缶詰を入れて、空荷で針ノ木岳へ向かう。稜線の右のお花畑に入ると、黄色いミヤマキンバイ、ピンクのタカネシオガマ、青いイワギキョウが咲いている。やがて、一時間程で白い岩が積み重なる頂上に着いた。目の前には、豊かな残雪を残した立山と剣岳が聳えている。眼下には、青緑の黒部湖が広がり、遊覧船の白い航跡が見える。頂上の岩に腰を下ろし、ミカンの缶詰を空けて、食べる。針ノ木峠に下り、今度は反対側の蓮華岳へ向かう。潅木の急斜面を登り切ると、白い岩クズが広がるなだらかな尾根道となる。辺りは、至る所、ピンクのコマクサが咲いている。峠から1時間で頂上に着く。眼下には、信濃大町から郊外の村が広がっている。背後にはさっき登った針ノ木岳が雄大に見える。
翌朝、雲が多く、槍ヶ岳の辺りに朝焼けが広がっている。出発の準備をしている間に、みるみる黒い雲が広がって来て、視界が無くなる。七時前、登ってきた道を下る。雪渓の巻き道まで来ると、続々と登ってくる人とすれ違う。少し雨に降られながら、十時前に扇沢に着く。帰り道、薬師ノ湯で温泉に入り、各駅停車で帰路に付く。