草もみじの苗場山
樋口 正雄
越後の苗場山は、遠望すると、船の甲板のような形をした山である。古く江戸時代の書物にも「絶頂に天然の苗田あり」と記述されているとおり、頂上は高層湿原があり、夏は高山植物が咲き、日本百名山にもなってすっかり有名になっている。私は二十年以上前の冬に一人で麓の八木沢からスキーで苗場山を目指し、時間切れで、中腹から帰った記憶がある。その後、みつまたスキー場がこの山の麓に延び、さらに、神楽峰の中腹までスキー場ができたと聞いて、この山からすっかり遠ざかっていた。
山仲間のFさんから、「温泉に浸かりながら苗場山に行きましょう。」との誘いを受け、計画がまとまった。ちょうど、九州からHさんが千葉に引越してきて、再会を約束して一緒に出かけることになった。
十月六日早朝、まだ夏の暑さの残る東京を新幹線で発つ。越後湯沢に下り立つ。曇り空で地面は濡れており、昨日まで雨だったようである。駅でFさん、そして何十年ぶりかでHさんに再会する。
タクシーで和田小屋まで行く。十時頃、シラビソの林の中を歩き始める。道は、ぬかるんでいて歩きにくい。下の芝に来ると、湿原の葉があたり一面、黄色くなり、ナナカマドも葉を落とし、赤い実を付け、秋の佇まいである。生憎と曇り空であるが、対岸の中尾根は赤や黄色に色づいて見える。神楽峰を越えると、少し小雨も降ってくる。急斜面を登り切ると、広い湿原の中に延々と木道が続いていて頂上台地に着いた様だ。やがて、ニ時頃、宿泊予定の遊仙閣に着く。苗場山の頂上はこの小屋の中庭のようなところにある。連休で小屋も少し混んでいる。
翌朝、ガスに覆われているが、雨の心配はない。朝食の後、湿原の中の小赤沢に下りる木道を歩き、広大な草もみじの湿原を散策する。一回りして小屋に戻る頃には、天気も良くなってきた。八時頃、小屋番にお礼を言い、赤湯へと下る。湿原を抜け、急な斜面を下り、尾根道に入る。下るうち、いつのまにか、針葉樹の森からブナの森に変わり、辺りの紅葉が鮮やかになる。たくさんのキノコを採った人とすれ違う。サンプルに食べれるキノコを分けて貰う。ブナの枯れ木には確かにキノコがたくさん付いているのだが、素人には食用と毒キノコの区別が難しい。
やがて、大きな川に下り立ち、一時頃山の一軒宿、赤湯の山口館に着いた。荷物を部屋に置き、さっそく露天風呂に行く。川の横に三つ湯船があり、上二つが男湯でもう一つが女湯である。茶色の少し温めの湯だが、目の前に清津川の激流を眺めながら、湯船に身を横たえ、日本酒を飲むのはもう最高である。夕食は、山菜、キノコ、キクの花のお浸しなど素朴な山の献立であった。夜中、行燈をさげて、露天風呂に行く。激流の音を聞き、星を眺めながら、薄明るい灯の横で、湯船に浸かるのは風流である。
翌朝、谷沿いの道を下山する。さすがに越後の山は深く、簡単に麓に着かず、峠を越えたりで、ニ時間半程、汗をかかされる。林道に出たところで、頼んでおいたタクシが待っていた。越後湯沢に戻り、駅前の一人三百円の温泉に行く。湯を上がると、まだ、陽が高いうちから、駅前食堂にて、新潟の銘酒を飲み比べ、山の反省会をする。山の一日の行動時間は、四時間位という結論になったが、月報で見る山岳会の現役の皆んなの頑張りには敬服する。
苗場山上の芝当りにて