北の遥かな山---幌尻岳へ

樋口 正雄

 日高のポロシリ岳(アイヌ語の大きな山)は、遠い遥かな山である。6月末の札幌での仕事の帰りに昔からのあこがれの山を登ろうと、計画した。ちょうど、兄の文男が北海道を車で旅する計画であり、支笏湖にて待ち合わせた。

 七月一日。東京はうだるような暑さだったが、ここ支笏湖は、さわやかな高原の風が吹き、肌寒いくらいである。湖の側にある恵庭岳を登りに行く。深い原生林の中の急な登りを終えると、阿蘇の根子岳を思わせる尾根に出る。険しい岩の間を登って頂上に着く。あいにく、ガスに覆われて視界はきかない。

 頂上から下って見晴台に来ると、視界が開け、眼下に広大な支笏湖が見える。反対側には樽前山が大きく聳えている。すぐ右手の谷からは、ガスが噴出し、硫黄の匂いがする。近くの温泉にて汗を流したあと、車で、苫小牧に向かう。森の中に一本道がまっすぐに続き、知らないうちに車の速度計は80Kmを指している。太平洋に面した富川から、北に向かう。振内町から、糠平川に沿った林道を進む。車止めに着き、ここに泊まることにする。下で仕入れた海の幸を炒め、酒を飲む。昔、山の仲間と火を囲んで唄った北大山岳部の歌が思い出される。

  沢を登りて今日いつか

  わらじも足に親しみぬ

  三日三晩の篭城も

  過ぎて楽しき思い出よ

  いざ行かん

  わが友よ

  日高の山に夏の谷に

  北の山のカールの中に

  眠ろうよ

 翌ニ日、晴れ。朝四時半から糠平川沿いに歩く。朝の太陽の光が沢の中にも届き、水面に反射して、幻想的な眺めを見せてくれる。やがて道は消え、沢に入る。雪解け水が冷たい。右に左に太腿を越える渡渉が続く。四時間程で、幌尻山荘に着く。ここで沢から解放される。山小屋は、しっかりした二階建て、良く掃除されていて、感じが良い。中央に薪ストーブがあり、火がくすぶっている。振内町企画の山開きツアーのリーダがあと片付けをしていて、話かける。歩いてきた沢の冷たさをお互いに呪う。

 荷物をここに置いて空荷で頂上に向かう。山開きで頂上を登り終えた大勢の人たちとすれ違うと、我々だけの静かな山となる。頭上からは、太陽がさんさんと照りつける。急な登りを終え、雪渓の横に岩に沿って冷たい水が流れ落ちる「命の泉」に出て一息いれる。

 やがて、はい松の尾根となり、目の前に残雪の北カールを前にして幌尻岳が雄大な姿を見せる(写真参照)。お花畑の中を歩いて頂上に着いた。すぐ東に戸蔦別岳から芽室岳、西南にカムイエクウチカウシ山、ペテガリ岳と雄大な山々が続いている。

 ハクサンイチゲ、ミヤマツメクサ、チングルマ、シナノキンバイなど咲きこぼれるお花畑の尾根道をゆっくりと下山する。小屋に戻り、外の木のテーブルで夕食を造る。登る前に川の流れに漬けていった牛肉と枝豆は、何者かに食われてしまった。幸い、缶ビール無事であり、犯人は山の動物らしい。まあ、山道でヒグマに会わなかったことを良しとしよう。雪解けの沢水でキンキンに冷えたビールを飲み、野菜いためと缶詰をつつき、最も懐深い百名山の一つに登れたことを二人で祝う。

 三日、曇り。糠平川沿いに下山する。富川で兄と別れ、千歳に向かい、昼過ぎの飛行機に乗る。半袖シャツでは寒かった千歳から、30°を超える真夏の東京に戻る。

北カールを前にポロシリ岳を見る