北八ヶ岳の新緑の森と湖

 六月五日十一時過ぎ、一人で高度二千メートルを越えるピラタスロ−プウエイを降り、「坪庭」に出ると、真っ青な空の下、清々しい高原の風が吹き抜ける。右手、縞枯山の黄緑色の林が美しい。溶岩が転がり、ハイマツが生えた道を北横岳へと向かう。やがて、モミ林の登り斜面となる。背後に甲斐駒ヶ岳が右に長く岩尾根を落とし、薄青く見える。

 やがて、大勢の人が休んでいる頂上に着く。目の前に蓼科山が悠然と聳えている。頂上を通り過ぎ、大岳へ向かう。シラビソの林の中、まったくの一人旅となる。右下には、深い森の中に青緑色の湖面をたたえた七ツ池が見下ろせる。尾根から少し登った道の行き止まりが岩を積み重ねたような大岳の山頂だった。ここは、頂上というより、北八ツの森の中に突き出た見晴らし台のような所だ。青い空の下、遠くに雨池が青い湖面を漂わせている。ついつい休憩時間が長くなる。もとより、何時までにどこに行くというような計画でもない。この森を吹き抜ける風と同じに気ままに、北八ツを歩きに来た。

 さらに大きな岩が積み重なった所を抜けて、少し下ると、三時過ぎ、二つの湖がある双子池に出る。池の水は微動だにせず、静寂が漂い、甲高い鳥の鳴き声だけが響き渡る。池の傍の山小屋に寄り、冷たいビールを買い求め、ベンチに腰を下ろす。池の周りは、ちょうど薄緑色の若葉が生えたカラマツが水際にせまり、池の深い青と美しい調和している。池を半周すると、平坦な台地があり、テントを張る。寝そべっていると、テントの中から、午後の柔らかい日差しに照らされた対岸の森が見渡せる。

 翌朝、寒くて四時前に起きて、雑炊を作る。食べて少し暖まったところでもう一眠りする。十分に辺りが明るくなったところで起きて、お茶を沸かす。テントを畳んで、六時過ぎ出発する。水が無くなったので池の水を汲んでいく。裏山を登ると、ホーロク平の草原に出る。目の前に蓼科山が大きく聳え、右手には浅間山がなだらかな姿を見せている。昨日とうって変わって、空には黒い雲が漂い、天気もあと数時間位しか持ちそうにない。少し下ると、七時半頃、コンクリート道路に出て、大河原峠に着く。

 蓼科山へ暗いモミの木が生い茂る急斜面を登り始める。立ち枯れの木が多くなり、尾根の鞍部にある山小屋の前に着く。幾人かの人たちが出発の準備をしている。ここから大きな溶岩が積み重なった急な登りとなる。左手遠くに、南の八ヶ岳の峰が見え、次第に手前の北横岳が低くなっていく。眼下には天祥寺平の緑の草原が広がる。そして、九時過ぎ、岩がゴロゴロと転がった広大な蓼科山の頂上に着いた。北には、まだ豊富な残雪を付けた北アルプスの山々が屏風の様に聳えている。頂上近くの平べったい岩の上の腰を下ろし、双子池から持ってきた水で紅茶を沸かし、休憩する。

 西の蓼科高原に向かって下山する。次第に黒い雲が広がってきた。岩くずの道を歩き終え、森林帯に入ると、ポツポツと雨が降り出してきた。傘をさして、黄緑の葉が美しい白樺の林の中を歩く。十一時頃、アスファルト道路を横切り、女神茶屋に着いた。ちょうど、バスがやって来たので、茅野へと向かう。

昨日は、初夏の抜けるような青空の下、爽やかな風を感じながら、湖を眺めて、北八ヶ岳特有な縞枯れ林の中を歩いた。そして今日は、うって変わって雨模様の森と、全く異なる表情を見せるこの山域の豊かさを感じる事ができた。


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